伝説の日本刀:薄緑

伝説の日本刀:薄緑 薄緑は源氏の英雄である源義経の愛刀とされる日本刀です。
この薄緑とする刀は数本現存していますが、有名なものは大覚寺に保管されるものと箱根神社に保管されるものの二振りです。
愛した熊野の春の山の美しさを刀の光に見た義経はこの刀に「薄緑」という名をつけて幾度となく死線をくぐり抜けてきましたが、平家の滅亡後、兄である源頼朝と不仲になった義経はこの刀を箱根権現に奉納することで兄と再び仲良くなれることを祈ります。
しかし皮肉なことに、兄のことを想ってこの愛刀を手放したことによって義経は刀の加護を失ってしまい、兄と再び歩む日を見ることなく奥州にて討たれることとなりました。
また源義経の手に渡る以前は「膝切」と呼ばれており、これは試し切りとして罪人を切った際、その首を落として膝まで切ったという逸話に由来するものです。
膝切以外にも妖怪である土蜘蛛を討伐したとされる蜘蛛切、夜になると蛇の鳴くような声で吠えたとされる吠丸もこの刀と同一ではないかと言われているため、名前こそ違えどさまざまな伝説に登場する日本刀としても屈指の知名度を誇る名刀であると言えます。

伝説の日本刀:蛍丸

伝説の日本刀:蛍丸 蛍丸は、鎌倉時代末期の刀工で来派の一員であった来国俊作の大太刀の日本刀です。
1931年に国宝に指定されましたが、太平洋戦争時の混乱により行方不明となり、現在でもその行方は分かっていません。
南北朝時代の南朝側の武将である阿蘇 惟澄が佩用していたと伝えられており、蛍丸の名前は1336年の多々良浜の戦いで足利軍との戦いに敗れた際にできたものです。
その時の夜に刃こぼれした刀に蛍が群がり刀を直した夢を見て、目が覚めると本当に刃こぼれが直っていたことから、蛍丸の名前が付きました。
以降は阿蘇氏に家宝として伝えられ、1931年12月14日に重要文化財に指定され、現在の所有者も阿蘇氏となっていますが現物は紛失されています。
この日本刀の総長は4尺5寸の約136.36センチメートルとなっており、刀身は3尺3寸4分5厘の100.35センチメートルです。
分類は大太刀とされ、おも店はばき元には護摩箸の刀身彫刻があり、裏側には切っ先方向に向けて素剣の刀身彫刻があります。